翻訳と辞書
Words near each other
・ マリー・ドレッスラー
・ マリー・ド・カステラーヌ
・ マリー・ド・ギーズ
・ マリー・ド・クレーヴ
・ マリー・ド・クレーヴ (1426-1487)
・ マリー・ド・クレーヴ (1553-1574)
・ マリー・ド・ナヴァル
・ マリー・ド・ナヴァール
・ マリー・ド・フランス
・ マリー・ド・フランス (1145-1198)
マリー・ド・フランス (1344-1404)
・ マリー・ド・フランス (詩人)
・ マリー・ド・ブラバン
・ マリー・ド・ブルゴーニュ
・ マリー・ド・ブルゴーニュ (1386-1422)
・ マリー・ド・ブルターニュ
・ マリー・ド・ブルボン
・ マリー・ド・ブルボン=モンパンシエ
・ マリー・ド・ブローニュ
・ マリー・ド・ベリー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリー・ド・フランス (1344-1404) : ウィキペディア日本語版
マリー・ド・フランス (1344-1404)
マリー・ド・フランスMarie de France, 1344年9月18日 - 1404年10月15日)は、フランス王ジャン2世の娘で、バル公ロベール1世の妻。
== 生涯 ==
ジャン2世王とその最初の妻ボンヌ・ド・リュクサンブールの間の第8子、四女として、サン=ジェルマン=アン=レーに生まれた。1364年にバル公ロベールと結婚した。夫は元はバル伯爵だったが、1354年にマリーの母方の叔父神聖ローマ皇帝カール4世によってバル公爵およびポンタ=ムッソン侯爵に昇格を許された。
マリーは読書家で、数多くの書籍を集めた図書室を所有しており、その書籍のジャンルも非常に幅広かった。図書目録には物語や詩だけでなく、歴史や神学に関する著作も含まれていた。
詩人は、『メリュジーヌ物語』をバル公爵夫人マリーに献呈し、この本はマリーの子供たちの政治教育の助けとなればと思って執筆した、と献辞で述べている。
マリーの息子たちは多くが戦場で命を落とした。長男アンリと次男フィリップはニコポリスの戦いに参加し、2人ともオスマン帝国軍の捕虜となって異国の地で客死した。四男エドゥアールと六男ジャンも、1415年にアジャンクールの戦いで戦死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリー・ド・フランス (1344-1404)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.